本プログラムは、社会人学生のために、1999年に計画され、準備期間を経て、2001年から大学院社会科学研究科で開講された。その後、大学院の改組に伴い、人文社会科学研究科の前期課程となり、現在に至っている。
計画当初は(現在でも多くはそうであるが)、社会人向けの大学院といっても、社会人が求めることや、時間の制約に配慮をすることなく、単に、現行の大学院に企業派遣の人を受け入れる、とか、せいぜいのところ、昼間の授業を夜間に行なうだけであったり、といったものであった。本プログラムは、これらの大学院とは異なり、一般の社会人を対象に、社会人の求める教育を行なう、ということから計画された。
では、社会人は大学院に何を求めているのだろうか。一般的な見方では、「社会人は実務知識を求めている」というものである。多くの実務型大学院が、この観点から設立された。しかし、実務知識については、大学よりも実業界で働いている社会人の方が数段レベルが上のはずである。実際に現場で働いている社会人は、そのような知識を求めてはいないだろう。では何を求めているのだろうか。
思い至ったのは、「社会人は考え方を求めている」というものである。実際、大学では「考え方」を教えている。そして、この「考え方」を実務経験から身に着けることは難しい。これこそ、社会人の求めているものではないだろうか。 この見方に基づいて、「経済学の基礎を徹底的に教育する」という、本プログラムが考えられた。
経済学の基礎を教える、ということは、入門の知識を教える、ということではない。経済学的に考える上で必要不可欠な「基礎概念を教える」、ということである。
この視点に基づいて、金融関係の仕事を持つ社会人を対象に、2000年度に講義の実験が行なわれ、多くの参加者から好意的な評価を得た。この結果を踏まえ、2001年4月から、本プログラムは開始された。
本プログラムでは、社会人学生の立場からカリキュラムが考えられている。社会人学生が先ず脳裏に浮かぶことは、「参加できる時間が殆ど無い」、ということであろう。平日の夜間に開講しても、仕事の都合上、毎回参加できるわけではない。土日開講、と言っても、家庭を持つ社会人には無理な注文である。実際、定期的に授業を行なおうとすると、社会人が参加できる授業など、ありはしないのである。
本プログラムでは、この解決方法として、隔週土曜日開講、というものが採用されている。これならば、なんとか家族からの理解も得られ、会社の仕事もなんとかやりくりできるのではないだろうか。
しかし、隔週土曜日では、行なえる授業も限られてくる。そこで、可能な限り基
礎的な科目だけに絞って授業が行なわれる。すなわち、ミクロ経済学、マクロ経済学、そしてゲーム理論である。
これらの基礎科目を徹底的に教育すれば、時間の足りない社会人でも、なんとか「考え方」を理解することができるのである。もちろん、絶対的な時間は不足している。そこで、本プログラムでは、宿題が活用されている。実は、考え方を理解するためには、授業に参加することよりも、自分で考えることの方が、はるかに重要なのである。そして、自分で考えるためには、自分で問題を解くしか、方法は無いのである。この宿題に加え、理解に際して疑問点が生じた場合に自由に質問が行なえる環境として、インターネットが活用されている。これらの手法を用いることにより、社会人は、時間や場所の制約なく、各自の状況に応じて学ぶことができることになる。
次に問題となるのは、具体的な教育内容である。基礎科目といっても、そのレベル
を含め、範囲は広い。この問題で先ず考えなければならないことは、社会人の置かれている状況である。すなわち「社会人は大学で勉強したことを忘れてしまっている」ということである。それに加え、仕事をしながら勉強するなどということは初めての経験であろうから、おそらく勉強の仕方が分からないだろう。仕事と勉強の頭の切り替え、仕事や家族との共同生活の中での勉強時間の確保、等等、各人の事情に合わせて解決すべき問題は多々ある。
これらの点を考慮し、本プログラムでは、大学の復習から講義が始められる。すなわち、大学の学部レベルのミクロ経済学、マクロ経済学、ゲーム論である。さらに、社会人の苦手な数学が、これに加えられる。これらの科目を、大学時代を思い出しながら、入学後、半年かけて復習してもらい、勉強する環境に慣れてもらうことになる。この半年の準備を経て、いよいよ本格的な大学院レベルの経済学の基礎科目が、1年をかけて講義されることなる。そして、修士課程の2年間の最後の半年が、修士論文を書く期間に当てられる。
本プログラムは以上のように考えられ、運営されている。