2005.5.21
去る5月14日、結婚式に出席しました。花嫁のチャンサダ女史、花婿のプーペットさん共に、私の現在の勤務先であるラオス国立大学経済経営学部(FEBM) の教員です。しかも、お二人の馴れ初めは留学先の神戸大学という、とにかくおめでたい話です。以下、当日の「撮影」日誌です。
朝 5 時半起床。タイ製の激辛カップ麺で朝食を済ます。多少気が立っているのが分かる。大事な撮影の前は、大体こんなもの。昨晩眠れただけ良かったと考える。撮影機材を整え
7 時半出発。運転手さん、土曜朝の超過勤務ありがとう。
向かう先は花婿宅。実は私が正式に招かれているのは、10時開始の花嫁宅でのバシー(幸せを祈って手首に白糸を巻きつけるラオスの伝統儀式)から。しかし前日、FEBMのスタッフから、結婚式の一番の見所は、花婿が花嫁の部屋にたどり着くまでとの情報あり。招待もされてないのに行ってもいいだろうかとの問いには、No Problem とのお返事。事前に花嫁から、公式のカメラマンとして認めますとのお言葉も頂いてあるので、ボーペンニャン(ラオス式の気にしない)精神を発揮して早朝花婿宅に押しかけることにしました。
住宅街をいささか迷った後、8 時に花婿宅に到着。花婿はまだ普段着のまま。最初は昨晩の独身終了記念パーティー(?)の名残の中で茫然と佇んでいるだけでしたが、30分ほどすると室内に案内されました。10数名の客が続々と到着し、正装に着替えた花婿も登場、バシーが始まると撮影モード。まずは花婿・花嫁宅それぞれでバシーをやり、最後に花嫁宅で合同のバシーという式次第のよう。花婿は日本留学10年だけあって、儀式に参加している人の半分は大挙して現れた日本人。彼ら彼女らも写真を撮るは撮るはで、儀式か撮影会かという雰囲気。私はカメラマンに徹し、参加者とは違う角度から撮影を続けました。
このバシーでは、参加者がお金や酒(日本のウイスキーが多かった)を花婿に渡します。お祝いですが、より具体的には、これから向かう花嫁宅で花嫁を守る友人や親族を買収するための資金です!
さてバシーが終わると親族・友人一同を引き連れ、いざ花婿の出陣。字義通り、刀も持っています。最大の武器 = 買収資金は、花婿が肩から下げるかばんの中です。
(出陣!)
私も自分の車に乗り込み、運転手さんに花婿の車をつけるように依頼。7,8台の車が、列を連ねて花嫁宅に向かいます。
花嫁宅近くの市場で車を停め、花嫁宅のメッセンジャーが来るのを待ちます。メッセンジャーが来ると、太鼓・鉦を鳴らし、時には雄叫びをあげながらの行進となります。
(花婿側先頭集団)
一方花嫁宅では、友人達が門に前にロープを持って立ちはだかり、花嫁を守る防戦の構えです。こちらも、酒を飲み雄叫びを上げつつ待ち構えています。
(花嫁側 第一防衛ライン)
花婿の一団が角を曲がり花嫁宅前に姿を現すと、双方の雄叫びのトーンが一段と上がります。花婿が門に近づくと、花嫁側の友人・親族が止めに入ります。花婿は彼らにお願いしたり、先ほどの自宅のバシーで貰った祝い金を渡して通してもらおうとします。花婿の友人達は、防戦側に酒を振舞い、篭絡しようとします。しばらくこうした攻防が続いた後、花婿の親族・友人が花婿を後ろから押して、門を強行突破しました!
(先陣激突)
(第一防衛ライン突破!)
さて敷地に入ると行進は順調になりますが、花嫁の待つ家の玄関前で、最後の友人が立ちはだかります。花婿はこれにもお願いし、お金を渡してなんとか突破、花嫁のもとにたどり着きます。
(最終防衛ラインの攻防)
結婚式は、花婿・花嫁を結びつけるバシー。この儀式の撮影は、遠慮しておきました。さらには現代風なのか、指輪の交換もありました。
(お幸せに!)
この段階で11時くらい。それから庭でお昼が振舞われ、徐々に散会となります。結婚式は、これで終わりです。
午後7時からは、参加者500人と喧伝される大披露宴。私は、酒・食事・踊りには目もくれず、FEBMスタッフの写真を撮りまくり、派遣専門家としての勤めを果たしました(?)。フラッシュ操作に慣れていないため、披露宴では暗め・ピンボケが多かったことが、今回の結婚式撮影の反省材料です。
とにもかくにも、お二人の末永き幸せを!